2006年1月24日

ガルバリウムに包まれて ワタシは生きるの


IMG_garuba0001_1.JPG「普通の人っていうのはね、そういうのは、わからないモンなのよ」と、N先生。

かあちゃんが通っている整体のN先生は、この道に進む前は某ハウスメーカーに勤めていたのだそう。
「だけど、白よりは黒がいいとか、右よりは左がいいとか、そのぐらいは言ってもよさそうじゃないですか」と、かあちゃん。
「それがわからないモンなのよ」。
「そうなんですかねぇ」。
「そうなのよ」。

内装がほとんど無いので決める項目があまり無いと言えば無いわけだけれど、一からつくる家、決めることや考えることは、それでもいろいろとあります。でも、とうちゃんは、家の打ち合わせをしていても、ぬぼーっと座っているだけ。どんな家にしたいの? その家で何をしたいの? 何も出てきません。

「それは、アナタがそういう世界の人だから言えるんであって、普通の人っていうのは、家なんてどうしたらいいのかわからないモンなのよ。普通の人であるダンナさんがわからないのもムリないのよ」。そうなのかな。わからないでもないけれど。普通の人は、平面の図面を見てもそれを頭の中で立体に起こして考えてどうのこうのなんてわからない…イメージが色で浮かんだりすることは難しい…それはそうなのかもしれないけれど…。

地べたを見てごらん。アリンコが棲家をつくってる。木の上を見てごらん。カラスが針金ハンガーで棲家をつくってる。ツバメだって、ウサギだって、クモだって、キタキツネだって、ハムスターだって、ビーバーだって、みんなみんな棲家をつくってる。人間だって、もともと自分の棲家は自分でつくってたんだ。
自分の棲家をつくるのは生物の本能だ。よく家を買うこととクルマを買うことを比較して言ったりするけれど、人間が棲家を持とうとするのは多くの生物と同じように生きるための本能であって、クルマを持とうとすることはべつに本能じゃない。それは大きな違いだ。
赤ちゃんが産まれたら父親になれると思ったら間違いだ。家を買えば一家の主になれると思ったら間違いだ。自分の棲家を自分でつくれない父親が、子どもを育てていけるものか。失われた本能を呼び覚ませ。

IMG_garuba0001_2.JPG外壁にガルバリウムが貼られ、柱だけだった家が囲まれ、家らしくなってきました。断熱材つきのガルバリウム鋼板なので、外壁は貼っただけでおしまいです。最初は倉庫のイメージだったので縦の波で使うかと思ったのですが、横に貼った方が柱に止めやすく、また縦の波にするよりもムダが少なくなりコストダウンにもなるということで、横の波で貼ることになりました。

見ていると、結構普通の家になっちゃったかなぁ…という気がしないでもありません。いや普通でいいんです。果たしてそれなりの家が建つのか? という状況だったんですから、普通の家が建ったのならスゴイことです。いやでもやっぱり落ち着いて考えると普通じゃありません。飲み水は井戸水だし、長屋なのに木のお風呂だし、構造は丸見えだし、土間なんてあるし、しまいには屋根に水を流そうっていうんですから、冷静に考えると普通じゃありません。
でもやっぱり普通の家になっちゃったような気も…。いやちっちゃい家だから、やっぱりあまり普通ではなくて…。もうね、なにが普通なんだか。


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コメント[5]

こんにちは

普通の家って、いいじゃないですか。
ただ・・
普通にも、上質な普通とどうでもいい普通があります。
みればわかります。
上質は・・じわっと「いいなぁ^」と思えます。

ちっちゃい家は、ちいさいからいいのです。
・・わかりづらいですが。。
ちいさいのに背伸びすると、かわいくありません。

そろそろ完成に近づいているんですね。

しださん、コメントをありがとうございます! いつもブログ拝見させていただいてます! 毎回深くて考え込んでしまいます。

そうですね、ちいさい家って、かわいいなと思います。

まだこれから造作などがありますし、私たちの手作業が入る予定のところもあります。完成までは、まだまだいろいろありますね。
というか、完成というよりも引き渡しで、住んでからまたいじっていくことになると思いますので、完成はたぶんいつまでもしないのかなと思います。

Aにとっては驚異的な出来事がBにとっては極日常の普通なことだったりして。
普通よりも奇抜なことのほうがよほど簡単だったりして。
普通って曖昧だし難しいですね。

とうちゃんに対する、junさんのもどかしい気持ちが伝わってきました。分かります~。
何も言わないというのは、“家づくりの素人だから”というよりも、「家」というものに何を求めるか、そのあたりが違うのかも知れないですね。極端に言えば、雨風がしのげて寝れればいい、とか。^^

もしも、私が家を建てるとしたら、私にも色々な思いがあります。それは建築士という視点からではなくて、やっぱり子供を育てる母親としての思いです。子供が小さいうちは、どこからでも顔が見えるような家がいい。固定された間仕切りなんかいらない。それにはやはり骨格がしっかりした家でないと。家族の成長とともに、成長していくことのできる家。家の間取りひとつで、家族の会話って違ってくると思いますし。
ずっと、junさんの思いとどこか共通するところ、あるように思ってました。

一方で、うちのダンナも建築士なのですが、もし家を建てようという話になったら、きっと「じゃあ、まず部屋はいくつ要るか?」「土地はどれくらい要るか?」って言い出すでしょう。
家に対する思いって、家で過ごす時間の長さにも比例するのかもしれないですね。

長々と書いてしまって、すみません~ _(._.)_

ranrunrinさん、そうなんです、建築士さんの視点と母親の視点て、違うんです!
かなり前々から学生の頃から思っていたんですけれども、建築士さんと子どもって相容れない世界がありますよね。ほんの一部の建築士さんをのぞいて。
建築士さんにとっては、子どもは自分の作品を汚したり壊したりする存在だし、子どもの使い勝手や安全性よりも見た目を優先させがち! それにやっぱり建築する人は男性が多いですし、男性の中でもなんというか独特の価値観の傾向があるというか…あ、このくらいにしておこう…(笑)。

結局、子どもが小さい頃に必要な家っていうのは、いろいろと飾り付けたり論理付けたりしがちな建築家という人が入る余地のないモノになるのかもしれません。だから相容れないのかな。
がらんどうの体育館でいいんですよね。はらっぱや砂場が最高の場であるように。

長々でもぜんぜんいいですよー。どうぞどうぞ。

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