2005年10月 8日

この街でずっと


大安とか友引とか先勝とかの日にするんだね、「地鎮祭」てのは。神道なのに。
結婚式の日取りみたいだね。

kawamo.jpg
建築家のAさんが工務店さんと話を詰めてくださっているあいだに、地鎮祭の準備をします。
ひとつひとつの見積りの項目をAさんが査定して、予算内に収められるようにと、いろいろと考えたり交渉してくださっているので、まとまり次第契約ということで、工務店さんとの契約の日取りも決めます。

近くの神社に、とうちゃんが地鎮祭の話をしにいきます。どこからか神主さんがやってくるパックになっている地鎮祭というのもあるらしいけれど、せっかくするのなら本当に地元の神様にご挨拶しようということで、近くの神社に自分でお願いしにいきます。

神社の帰りに、とうちゃんが、未来のお隣りさんに話をしにいきます。これから住む街の自治会長さんにご挨拶したらいいのか、ちょっとご相談に。
すると、突然うかがったのにもかかわらず、とうちゃんに宛てた封筒が玄関に用意してあったのだそう。封筒の中には、井戸が発掘されて業者さんに直してもらっているときに、お隣さんのご主人が記録のために撮った写真が。
未来のお隣さんは、わざわざ写真を焼き増しして、いつ来るか来ないかわからないような私たちのために、来たらいつでも渡せるようにと、用意していたのです。

この街が、私たちを迎え入れてくれようとしている。

かあちゃんは東京で生まれて東京で育ったけれど、生まれた街は高層ビル群になり、育った街はクルマが怒涛のように走り、遊んだ空き地はマンションが建ち、子どものころに見た姿はもう何も残っていません。
でも、東京で変わっていないものがひとつだけあります。川です。
東京の山は削られ海は埋め立てられたけれど、川だけは、ずっと変わらずにあります。

子どもたちに、ふるさとを作りたい。
それは何十年経っても変わらないもの。いつでも帰ってこられるようなところ。子どもたちがいつか大人になって、とうちゃんやかあちゃんがいなくなって、もうどうにも立ち直れなくなって、どこにも行き場がなくなってしまったときにでも、子どものころと何も変わらずに迎え入れてくれるところ。

変わらない川のそばに住みたい。
だから選んだ、ふるさとにするための、川のある、この街。

「あの坂は、アトムがお腹にいたときに、毎朝毎晩上ったり下ったりした坂だよ」。
「あの川は、ウランがお腹にいたときに、一緒にお魚を見た川だよ」。
子どもたちがこの街で大きくなったとき、そう話してあげることができるんだ。

夏場に「サライ」なんか聞くと、思っちゃうわけ。
なんだかんだ言ったって、帰れるふるさとのある人は強い。
帰れるふるさとのある人は幸せ。

かあちゃんには、それがないから、子どもたちに、ふるさとを作ってあげたかったんだよね。


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コメント[2]

読んでいてちょっと涙ぐんでしまいました。自分の生まれ育った環境を思い出して幸せだったとも思えました。若かりし頃は不便だとばかり思っていたのに。私は海の近くで育ちましたがつらい時こそ行きたくなる場所、心を穏やかにする場所ですね。今でも海の近くから離れられません。そしてそういうよりどころを作ってあげるのも親の務めなのかもしれません。遅かれ早かれ腕の中から飛び立ってしまいますものね。
きっと2人のお子さんも川を見つめて心和ませる日が来るのでしょう。
お隣の方とのエピソードもステキですねぇ。人柄(家族柄?)のたまものでしょうが、ご一家が町の波長とあっているのでしょうね。

ゆんさん、コメントをいただきありがとうございます。

海の近くで子ども時代を過ごされたのですね。素敵ですね。
海、いいですね。

なにせ長屋のあった場所なので、昔ながらの職人気質の方々ばかりが周囲にはお住まいなのです。周りのお宅の方々と、まだあまりお話もしていないし、お会いしたことのない方もいらっしゃるのですけれど、私たちが住む前からあれこれと気を使ってくださっているようです。私たちの…と言うよりも、これは土地の力なのかなと思っています。

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