昭和のくらし博物館
昭和の時代の普通の家の普通の暮らしをそのまま保存して博物館としているところだ。住宅街の中、普通の家に混じって普通に建っている。もし入り口に看板がなければ、ただの古い家にも見える。駅から近いというわけでもなく、近くに名所があるわけでもない。知っていなければたどり着くこともできない。
この家は登録有形文化財になっている。戦後の物資のない時代に公庫住宅として建てられた家だ。
門を入り入館料を払う。おとなひとり500円。子どもたちは無料だった。この日は他にあまりお客さんもいなかった。玄関の引き戸をガラガラと開け、靴を脱いであがる。玄関の上がり框の段差を利用して引出しを作ってあるのが目を引く。階段を上がって2階へ行くと、子ども部屋がある。畳の横に細い板が敷いてある部分があり、そこに家具を置けるように考えてある。小さな机やたんすには昭和の時代のおもちゃや薬がコレクションのように引き出しや棚に収められている。子どもたちは喜んで引き出しの中を見ている。
隣の部屋へ行くと、キモノが所狭しと並んでいる。手作りの子どものキモノもたくさんある。「寝冷え知らず」もある。これは腹がけのようなもので、赤ちゃんや小さな子どもが眠るときに冷えないように着せるものだ。「背守り」が並んでいる。これは昔から伝わるおまじないのようなもので、赤ちゃんのキモノの背中に縫いつけるものだ。文様が美しく、縫い目が美しく、「背守り」の前でしばし佇む。アトムが産まれる前に、「背守り」を縫って産着を作ってあげたいと思ったことがあった。でも悲しいことに本物を見たことがなかった。正しい縫い方もわからなかった。ここに来ればよかったのだと、今更思う。「疱瘡除けの産着」というのもある。真っ赤だ。タイムリーだったのでまじまじと見る。疱瘡は、怖い病気だったのだ。
1階に降りると、4畳半ほどの部屋にちゃぶ台が置いてある。家族の食事が並んでいる。おひたしやメザシがおかず。ご飯は麦が混じっている。隣に小さな台所がある。床板をはずすとカメやら炭やらが並んでいる。床下収納だ。氷を入れて使っていた小さな冷蔵庫もある。当時のパン焼き鍋を館の方が見せてくださる。戦後、米の配給がなく小麦粉の配給だったときに使ったのだそうだ。
奥の部屋にもキモノがある。その季節ごとのキモノを出してくださっているのだそうだ。豪華で華美で金粉が舞っているキモノではなく、洗練された目が選んだキモノだ。大島紬もある。
縁側には、ミシンが置いてある。足踏みミシンだ。明るい日差しの中でミシンかけができたのだろう。
どの部屋にも、家具が出っ張っていない。家具が入るスペースの壁をあらかじめ窪ませて、床に板を貼り、そこに家具をはめ込んでいるのだ。今で言うところのクローゼットも壁に作ってある。そのため、圧迫感がなく、小さくても居心地のいい部屋になっている。
お茶とお菓子をいただく。子どもたちは、縁側を走り抜け、庭に降り通り抜け、また玄関から入り、部屋を抜けて縁側を走り、グルグルグルグル裸足で走りまわっている。庭の井戸から水を出しまくって大興奮している。顔が輝いている。
帰り際は、ひたすら謝った。子どもたちがあまりに騒いで、しかも庭を走ったままの裸足で縁側に乗っかっていたりしたので、さすがに申し訳なかった。他にお客さんがいたらクレームつけたけれど と言われてしまった。すみません。
もしこんな家に住めたら、子どもたちはいつも活き活きと輝いて暮らすだろう。
もう少しすると、建具を簾に替えるのだそうだ、さぞ涼やかな光景だろう。窓は割ればパリンといきそうなガラス窓で網戸はない。簾をかけることで虫が入ってくることを防ぎ、日差しも防ぐのだろう。もしもこの家で暮らせば、夜は蚊帳をつって寝るのだろう。縁側で蚊取り線香焚きながらスイカ食べるのだろう。日中暑ければ庭で行水するのだろう。
この博物館そっくりの家を建てられたという方が、ちょうどいらしていた。お話を詳しく聞ければよかったのに、子どもたちを構っていて伺うことができなかった。残念だ。
高級な建材を使っているわけでもなく、頑強なつくりを誇っているわけでもない。知恵を集めて設計され、手が加わって生きている。
かあちゃんが子どもたちと暮らしたいのは、きっと、こんな家なのだ。
「昭和のくらし博物館」オフィシャルホームページ
昔の家がそのままあるものなので、乳幼児向け、授乳室などの施設は特にない。オムツが取れて3~4才以上になれば、昔のおもちゃや台所やキモノを見て楽しんだり学習することができる。ただし、最寄駅からは結構歩くことになる。
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